『日記』

 

 

 6月22日・・・・・・

 

「疲れたぁ!」

ある日の夕方。大学の授業も終え、サークルもバイトも無いので家にまっすぐ帰った。そして手を洗った後、自室に戻りカバンを投げ捨てベッドに飛び込む。

「疲れた・・・・・・」

意味の無い独り言。返事なんて当然無いし口に出したからって何か起こるわけでもないのになぜか声に出してしまう。

「暑い〜」

またもや独り言。だけど今度は冷房を入れるというアクションを起こす。涼しい風が部屋を癒す。仰向けになって窓の外を見る。私の家はマンションの7階だから見える景色は高めで空に目がいく。綺麗な夕日が街を包んでいた。いつ見ても夕日は優しい色をしている。でも今は私には悲しく見える気がした。人々の楽しそうな声や車の音が聞こえる。外は賑やかだけど私はなぜか一人取り残された気がした。

「つまんない・・・・・・」

私は手を後ろにのばして赤い本を取り出した。鍵つきの私の日記。手探りでベッドについている引き出しから鍵を出す。慣れた手つきで鍵をあけた。パラパラと日記をめくる。そこには節操なくいろんなことが書かれている。授業の内容、テレビ番組や本の感想、友達とのたわいもない雑談、サークルの練習風景、バイトでの出来事・・・・・・。

 

『6月2日 今日はサークル会議でした。なんだか副部長が深刻そうな表情をしていたけどどうかしたのかなぁ。明日も臨時で会議が入りました。』

 

 

『6月3日 今日は昨日言われたとおりの臨時会議。副部長はバイトが入っちゃって来れなかった。寂しいなぁ・・・・・・』

 

 

バタンと本とは思えない音をたてて私は日記を閉じた。

「あ〜やだやだ、な〜に乙女の日記みたいなこと書いてるんだろう私・・・・・・」

思わず呆れたような溜め息が出る。もう一度パラパラと日記をめくるが私の日記には副部長のことが多く記されている。いわゆる片想い中ってとこだ。

 


『6月6日 副部長がサークルをやめるそうです。それだけじゃなくて大学をやめなくてはいけない状態なのだそうです。もう・・・・・・会えなくなっちゃうのかなぁ・・・・・・そんなの絶対嫌だ・・・・・・』

 

 今度はゆっくり静かに日記を閉じて鍵をかけた。随分とまってしまっている日記。副部長の学校やめます宣言から日記は完全にストップしている。この出来事の前までの日記はとても楽しそうだった。大学に行くのが楽しくて、サークルが楽しくて、合奏するのが楽しくて、副部長とお話するのが楽しくて、嬉しくて・・・・・・。

 


「何泣いてんのさ」

「!!」

ガバッと起き上がると私の姉―といっても双子で同い年なんだけど―の聖子(せいこ)がベッドの側に立っていた。

「ノックくらいしてよぉ! 一応ここは私の部屋なんだからぁ! それと泣いてない!!」

「明子(めいこ)に礼儀払わなくてもいいと思って・・・・・・無自覚か」

聖子は相変わらず表情を崩さなかった。双子で同じ顔をしているのに私たちは恐ろしいほど性格が違う。むしろ顔以外は共通点が無いっていったほうが正しいかもしれない。

「日記読んでたの」

「そ、そうよ、悪い!?」

聖子が呆れたように溜め息をつく。余裕そうな態度は崩れることは無い。しかも私がベッドに腰掛けていて聖子が立っているせいで威圧的に感じる。

「日記、最近書いてるの?」

「最近は・・・・・・書いてない」

「アレから?」

「・・・・・・うん」

聖子は私に起こった出来事はひととおり知ってる。私がベラベラとしゃべるからね。

「その日記さ、あんたみたいだね」

「え?」

日記に私が似てるの? あ、日記が私に似てるのか、でもどこが?

「前に進んでないって感じ。あの日以来ね」

「前に・・・・・・進んでない?」

「その日記はそのまんまの意味。あの日以来書かれてない。あんたはあの日以来心ここにあらず。過去の思い出にひたるばかりで全然前に進まない」

聖子がセミロングの黒髪を鬱陶しそうにおさえながら私の目を見る。聖子の眼差しはどこか迫力があって眼が逸らせない気にさせた。

「でも、仕方ないよ・・・・・・どうにもできないもん。思い出にひたるぐらい許してよ」

「解決策なしってわけか」

「そうだよ」

不貞腐れたように聖子の眼を睨む。聖子は私の眼をしばらく見ていたけど視線を日記に移した。

「日記書けば?」

「書く気になれない・・・・・・」

「日記って書くことでどういう利点があると思う?」

聖子の突然の問いかけに私の思考が一瞬止まった。だけどはっきりさせる聖子の性格だ。何も答えないでスルーは無理だろう。まあ私は一番妥当な答えを出すことにした。

「その日のことを記録できる、で、後に残せる」

「まあそれもあるだろうね」

聖子が頷きながらそう言った。

「他に何があるの?」

「今日のことを思い出にできる」

「それってさっきのと変わんないじゃん!」

私が食って掛かっても聖子の余裕の態度はやっぱり崩れなかった。

「要するに今日の自分と今日限りでさよならってこと」

「ん?」

「だからね、今日あったことを書いて、今日思ったことを記して、今日を過去にするの。そして明日に進むの」

聖子が私に言い聞かせるような口調で話す。

「明日に今日の自分を引きずらないの。まあ完全に違う自分になるなんて無理だろうけど一種のけじめってやつよ。べつに日記をつけなくてもいいんだけどこうやって文章にした方がけじめつけやすいでしょ?」

よく高校までも文章で目標とか書かされたでしょ、ああいうのと聖子は付け加えた。私はそれに納得する。

「だから、今日日記書きなさい。あの日以来の自分にけじめつけて、明日からまた再スタートするの。この日記だって前に進みたいのに書き手のあんたがそんなんだからいつまでたっても6月6日じゃない」

聖子は私にそう言って日記を渡した。

「ごめんね、日記さん。私が前に進めなかったからだよね・・・・・・今日からまたいっしょに前に歩こうね」

私がそう言うと心なしか聖子が微笑んだ気がした。

「ね、聖子。ひとつ訊いていい?」

「何?」

「聖子も日記、つけてるの?」

「・・・・・・つけてるよ。私もけじめつけるの一人じゃできないから日記に手伝ってもらってる」

聖子はそれだけ答えると私の部屋を出ていった。

 

 私はもう一度日記を開いて今日のことを書いた。授業のことと、聖子と話したこと、これから前を向いて歩こうという私の決意・・・・・・。

 

 

 それからも毎日その日あった出来事を記していった。私が思ったことも。そうしているうちに少しづつ元気が出てくるような気がした。そして時々は昔の思い出にひたったり・・・・・・日記は私の良い相棒になった。なんでも話せて、過去を共有できるようなそんな相棒。

 

 

 7月1日・・・・・・

サークルの練習に向かう。すると三味線のしっとりとした音色が和室から響いてきた。

この音色は・・・・・・。

ガチャ。

私は和室のドアを開けて中に入った。

「あ、明子、こんにちは」

副部長がバチを持ったまま愛想のいい笑顔を浮かべて挨拶した。

「副部長! 練習しに来るなんて・・・・・・珍しいですね」

あの日以来副部長は練習しになんて来なかった。まあ当たり前のような気もするけど・・・・・・。

「実はさ、俺大学残ることになったんだ」

副部長が舌をぺロッと出していたずらっ子のようにして言った。

「え? え??」

「父さん新しい職見つけたし、あと奨学金貰えることになったし、親戚もお金援助してくれることになって」

でもバイトの時間増やすから練習量減っちゃうかもと苦笑しながら言った。

「というわけでこれからもよろしくな」

私は嬉しくてもちろんです! という代わりに何度も頷いた。

副部長が大学に残る。副部長がサークルに前と同じようにいてくれる。

「じゃ、『松上の鶴』合わせよっか♪」

「はい! 了解です!!」

私は箏を出しに奥へと入った。

 

 

 きっと今日の日記はとても幸せそうな文章になるに違いない。はやく日記に、聖子に報告したくて仕方なくなってきた。副部長と前と同じように合奏できるんだよって。

 

 

 日記はその時のことを記録に残す本。過去の思い出を保存してくれる本。それは前から知ってたけど、実は明日に進むための気持ちの整理をつけさせてくれる本。過去の思いも出来事も、決意も共有してくれる本。毎日毎日、記録を残していって、明日にいっしょに進むんだ。それが私と日記との関係。

 

 

 日記の白いページは明日の私を待っている・・・・・・。

 

 

 

おしまい♪