「お題64:主張」



 燦々と照りつける太陽が、思わずむせ返るような暑さを景気良く撒き散らしてくれている。

 暑さに参って意識を手放してしまったら、自然と口から「くそったれ」と漏れ出しそうだ。

 そんな8月某日のこと――と、無駄なモノローグを考え始めた自分に呆れつつも、実際そうなのだから仕方が無い、そう思う自分がいることに気付く。

 言うまでも無く焦熱地獄のような熱さ(最早『暑さ』ではない)とジャングルのような湿気の充満した狭く暗い部屋に、何人かの暑苦しくも見苦しい野郎共(例外も紛れている)が集まって、何事かを言い交わしている。

 その会話の中には、普段『常人の』日常会話の中ではあまり口にされない単語も何度か出ている。

「やはりその場合、そのキャラには『手錠』を追加して従順さをより色濃くするべきだと思うんだな」

「はぁ……?それなら『手錠』よんかより『首輪』の方がずっと効果的だろ。というか、そっちの方が俺が好き」

「こ、この『鬼畜野郎』なんだな(笑)」

 ブラックフレームグラス(つまりは単なる黒ぶち眼鏡)を無理矢理顔面に装着した脂質40%な外見をしたボンレスハムのような男に、これまたひょろっとしたもやしのように痩せ細った男が言った。

 どちらにしても、はたから見れば既に自らの人生を捨て切っているとしか言えないが、その二人にしてみれば、今という時間は十分に人生を楽しもうと努力した結果によるものらしい。

 世紀末はもう過ぎて、何とかの大予言は当たっただの当たらなかっただの、それは解釈されていたものと時期が違っただの世界の終末を予言していたわけないだの、諸説が言い交わされているが、それでも私は敢えて言わせてもらいたい。



 世も末である。



「お前達……ここでそのような議論を繰り広げるのはやめてもらえないか? 今回集まったのは、お前が次のコミケに提出する作品の推敲が目的ではないのは百も承知だろう?」

「は、はいい。申し訳なかったんだな、議長殿ぉぉ……

 まるでそれ自体に粘着力があるような気色の悪い周波数で、私の耳を腐食への道に一歩いざなってくれたボンレスハムは、机の上に広げていた原稿をそそくさと脇の鞄の中へ破れないように優しくしまい込んだ。

ちょっと待て、それを肌身離さず持ち歩いてるのかこのハムは。

 その熱心さをもっと別のことに生かしていれば、もう少し真っ当な道を歩むことを選ぶことも出来たろうに。

 こういうのを人生の敗北者とか言ったりするのだろうか、そんなことを思いながら、私はズレかけた眼鏡を軽く指先で位置を直しながら正面に向き直った。

 ……どうやら珍しくメンバーは全員集まっているようだ。

 私達『裏・萌え文化研究愛好総合同盟』(ボンレスハム&もやし命名)が全員集まるのは、実に4ヶ月と一週間振りだ。

 この活動に熱心なボンレスハムともやしはともかく、他二人は私でさえも2ヶ月ほど姿も見ていなかった。

……それで。……今日はどういった議題なのですか、議長殿……?」

 部屋に入ってから、ボンレスハムともやしを虚ろな目で見ていた「ように見えていた」ぼさぼさ頭の青年が、死人のような光の無い目で私を見上げてくる。

 ボンレスハムのような暑苦しさを持った男とは対極に位置する、無駄に寒々しい雰囲気を持った男だ。

 今日のような海水浴日和の天気の日は重宝されそうな奴だが、正直あまり友達にはなりたくないタイプの人間の一例だろう。

「貴方、何も聞かされずにここに来たの? クスクスおかしな子ね……

 思わず「おかしなのはお前だ」と言いそうになったのを何とか堪える。

 薄気味悪い笑みをこぼしながら陰鬱な空気の青年に言ったのは、これまた青年に負けず劣らず近づきがたい雰囲気を纏った、長い黒髪の少女だ。

 顔立ちはお世辞でなく綺麗で、間違い無く街頭調査で10人に訊いて10人が「美人」と評価するであろう容姿であるのに、顔や腕、その他身体の至るところに巻きつけている包帯が全てを台無しにしている。

 見る者を不快にさせる容姿のその少女を、青年は無気力な目でぼぅっと見つめた。

 よくわからないが、少女の今のセリフが気に障った、というわけでもないようだ。

……さて、今日君たちに集まってもらったのは他でもない。属性について話し合うためだ」

 このメンバーが静かになるまでじっと待っていたら、日が完全に暮れてしまう。

 そう思った私は、会話の合間を逃さずに話を切り出した。

 その場にいた全員の視線が自分に集まるのを感じて、私は思わず悪寒を感じてしまった。

 憂鬱青年と黒髪不思議系少女は許すから、ハムともやしはこちらを向かないでもらいたいものだと思う。

 私は不思議な人間には慣れている(というか、慣れざるをえない環境下に置かれていた)が、人というものが堕落したらどうなるかを体現しつつある者の相手はひどく苦手だと自負している。

 見続けていたら目玉が腐り落ちてしまいそうになる汚物を視界に入れないようにしながら、私は話を続ける。

「属性。これは『萌え』というものに否が応にも付いてまわる代物。つまり属性について知るということは『萌え』の何たるかを知る第一歩となることは明白だ。もちろん、皆それぞれ好きな属性を既に持っているものと思う。よって、今日はそれについて語ってもらおうかと思う」

 自分にしては少々こじ付け気味かと思える論理だが、多少は理解の出来る論理だろう。

 予想通り、四人はそれなりに楽しそうな反応をしてみせてくれた。

特にボンレスハムの興奮は尋常ではない。

このハムは無駄に垂れ流している油……じゃなくて、汗をどうにかして欲しい。

「ぞ、属性、属性は大切なんだな。コミケでオリキャラ本を売ろうと思ったら、何かしら属性を付けないと見向きもされない場合が多いんだな」

「その通り。自分としては、やはりスク水ですかね……

「す、スク水は需要は申し分ないんだな。でも多少飽きが来易いとも言えるから、商用にはあまり強くオススメ出来ないんだな。個人的にはメイドさんが大ヒットなんだな」

 勝手なことを人間廃棄物の二人が言い交わし始める。

 だが、奴らはコミケで売る本の話をしているに過ぎず、実際の『萌え』を前提とした話をしているわけではないので、奴らの話は意図的に脳でシャットダウンする。

 私は他の二人の話を聞くことにした。

「それで、君たちはどんな属性が好きなんだ?」

……そう。……ですね」

 先に反応を返してくれたのは、予想に反して青年の方だった。

 はたから見ると意識を失っているように見えていたが、五感は正常に働いているらしい。

……僕は。……ゴスが好き。……です」

「ゴス?あの黒っぽくてヒラヒラしたような、あれか?」

……語弊がかなりありますけど。……そうです」

 ふむ、なかなかに意外なような気がする。

 いや、彼の陰鬱な雰囲気には、ゴスのようなミステリアスな空気の漂う属性がむしろ似合っているのか。

 青年の外見が、比較的爽やかな好青年(あくまで容姿の問題だ)なので、少し意外な気がするだけかもしれない。

……ゴスは本当に魅力的です。……あの高貴な態度、視線。……それを引き立たせるダークな色合い。……妙に高慢的で、サディスティックな光を放つ瞳。……あれほどまでに魅惑的な属性は、ありません」

 心なしか目が垂れてきている気がするのは、彼なりに陶酔しているということなのだろうか。

 彼は陰鬱な空気を背負った無気力人間だとばかり思っていたが、それなりに思い入れのあるものはあるようで、自分としては何よりである。

というか、実は彼はマゾヒストなのか。

 と、口元を押さえながらクククと笑い続けている少女の方に、私は目を向けた。

 こちらは青年よりも一癖も二癖もがありそうだが、恐らく予想に違わず危険な思想を持っていることだろう。

「君はどんな属性が好きなのかな?」

「クスクス……私? 私は……スプラッタ」

「は?」

「だから……スプラッタ……残虐で残酷で、意味も無く血や内臓が飛び散ってるのが大好き……

 喉を鳴らして笑いながら、少女は可憐な笑みを浮かべた。

 今の会話の内容さえ聞いていなければ、素直に可愛いと思えたかもしれない。

 だが今の言葉を聞いてしまったがために、私にはこの少女の笑みは無邪気で残酷に、何の罪悪感も無く虫を惨殺していく子供のような惨たらしさが感じられた。

「そう……つい可愛い子を見ると、ああ、あの子の血の色ってどんな色なんだろうとか……臓器がどんな風に詰まってるのか見てみたいなあとか、そんなことばかり考えちゃって……昔はそんなことなかったのに、2年前くらいから止まらなくなっちゃった。ああ、そういえば最近血を見てないわね……誰か、生きていても大した価値の無い人が殺人鬼に殺されたりしてくれないかしら……

 まだあどけない少女の顔をした小悪魔が、口元に手を当てて虚空に視線を漂わせながら、そんな物騒極まりないことを最後に呟いた。

 貧血というわけでもないが、無駄に想像力の豊かな私の脳が嫌な光景を映し出して、私は危うくその場に倒れそうになる。

 何とか踏みとどまってから、平静を取り戻すために大きく深呼吸をして、吐き出す時にそれは溜息に変わっていた

 ハムともやしの二人は、まだどの属性が客受けするのかの議論に必死だ。

…………はぁ……

 このメンバーを相手に、まともに議論が出来るとは思っていなかったが、まさかここまでまとまらないとは思っていなかった。

 それどころか、私の方が気疲れする一方だ。

 眩暈を感じながら、私は自分専用のルッキングチェアに座って、蓄積された疲労を身体から抜くかのように大きく息を吐き出す。

「あ、ぎ、議長殿。聞きたいことがあるんだな」

 もやしと議論していたボンレスハムが私に話し掛けてくる。

 今は人と話す気分じゃない。それが鋭意腐敗途中の者なら尚更だ。

 だが、『議長殿』の名で呼ばれた以上は、メンバーの質問を無下にするわけにもいかず、そのため私は視線だけをボンレスハムに向けてやった。

「ぎ、議長殿の好きな属性を教えてもらいたいんだな。参考にしたいんだな」

……私の、好きな属性……?」

 少し古くなり始めたルッキングチェアの背もたれがギギギと軋みをあげる。

 と、上体をしっかり起こしてから、全員の視線が自分へと集まっていることに初めて気付いた。

 何だか知らないが、私の発言はそれなりに彼らにとって興味の涌くものであったらしい。

 そのことに戸惑いのような動揺を僅かに覚えてから、私はおもむろに口を開く。

「私の好きな属性は――



          *



「き、今日は参考になったんだな。また会議がある時は連絡して欲しいんだな」

「それじゃ、議長殿。また今度」

……さようなら」

「クスクス……なかなか楽しかったわ。じゃあね」

 議論と呼ぶには果てしなくレベルの低い議論は程無く終了し、私達は天然暖房庫となっていた部室(元物置のプレハブ小屋、私が学校に無理を言って使わせてもらっている)を出た。

 もう夕方とはいえ、まだ日は高く、その陽射しは肌を焼くように突き刺さってくる。

 だが、まだ空気の流れがある分涼しさを感じられる。

 プレハブ小屋の中は空気の流れがほとんど無かったため、まさに地獄だったのだ。

 流石の私も、最後の方は立っているだけでも辛かった。

 何故自分以外の4人は全く暑さに堪えている様子が無いのか不思議で仕方が無かったが、それはあまり気にしない方がいいのだろう。

 何だかよくわからないが、私のシックスセンスが全力で「気にするな」と叫んでいる。

「あ……会議は終わったみたいですね、議長殿」

 ふと、背中の方に声が掛かる。

 もう聞き慣れた声。私が一番心の休まる優しい声だ。

 溜息を付いてから、ゆっくりと振り返って、私はその子を怪訝そうに見つめる。

「もう会議は終わったんだ。お前まで『議長殿』なんて言うのは止めてくれ」

「あはははごめんなさい。でも、こういう時じゃないと、私が先輩をからかうなんて出来ないから」

「当たり前だ。からかうネタを簡単に見せてやるほど私は甘い人間じゃない」

 しれっと言ってやったが、目の前の少女は「そうでしたね」と言って、ぺろっと悪戯っぽく舌を出してから、被っていた『帽子』の位置を直した。

 この帽子は私が彼女にプレゼントとして贈った物で、彼女もとても喜んでくれた品だ。

 今日のような陽射しの強い日は、その帽子をいつも被ってくれているほどである。

 しかし今更ながら、流石この『私の彼女』になってしまえるだけのことはあると思う。

 本当のところを言うと、私自身、この子のことをここまで愛しいと思えるようになるとは思っていなかったのだが……

「先輩、今日はもうお帰りですか?」

「ああ、そうだ。もう用事も何も無いからな……。一緒に帰るか?」

「はいっ

 弾むような口調で、彼女は私の隣まで跳ねるように駆け寄ってきた。

 そして何の意味も無く、私の顔を見上げて、にっこりと笑ってくれる。

 そんな彼女のことが可愛くて仕方が無くて、私はその場で彼女の華奢な体を抱き締めた。

「や……恥ずかしいですよ、先輩……

「勝手に恥ずかしがっていればいい」

「ねえ、先輩……。何で先輩は私を彼女にしてくれたんです? 私が『先輩のお願い』を律儀に守れる変な子だからですか?」

……まぁ、初めはそうだったが」

 古いことを覚えている奴だと内心呆れつつ、私は言った。

「今は違う。お前という一人の女の子のことが、私は好きだ。ただそれだけのことだ」

 そう言って、私は彼女との距離をより縮めるために、彼女の後ろ頭に手を回した。

 私が何をしようとしているのか悟ったのか、彼女は頬を紅潮させたまま目をそっと閉じる。

 そして激しい感情の昂ぶりを抑え切れないまま、私は彼女の唇に自分の唇を押し付けていた。

 それは本当に熱く、甘美な一瞬。

 腕の中に収まっている細い体と柔らかな唇、そして僅かに当たるまつげの切なさと、目の端に映ったネコミミだけが妙に印象的だった。

 まるで陽炎のように虚ろで危うい、そんな夏の日のことだった。

(終)